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手塚先生の思い出

2010年07月12日


「8bit年代記」ちなみに今回は、手塚先生の思い出も描いてみました。
有名な話ですが、手塚先生はファンの前ではもう完璧に「手塚先生」を演じられていたと思います。
でもそれが決して嫌みに見えないのは、胸に抱えた強烈な悲しみや苦悩、虚無の陰があったればこそでしょう。
87年の広島で見た「おんぼろフィルム」「ジャンピング」、どれもすばらしいですが、先生のアニメ作品はどれも、何か別のモノがアニメに擬態をしているような独特の違和感がありました。
宮崎駿監督が強烈にディスったように(あれはあれで超カッコよかったけど)、アニメを愛してやまなかったのに、その本質をとうとう理解できなかったのでしょう。
なんたる皮肉かと思いますし、だからこそ決して理解できない謎めいた対象を、より深く愛したのかもしれません。
(自らアニメを愛人と称してましたが、どっちかというとファム・ファタルではなかったかと思います)
しかし、今になって手塚アニメを振り返ると、そこにはやはり独自の境地があるように思うのです。
なんたって、あんな妙なアニメを作った人は世界中に誰もいません。
だってアニメを理解してないアニメ作家なんて普通ありえませんから。
(唯一近いのは宮崎吾郎ですが、さすがにちょっとベクトルが違います)
「千夜一夜」「クレオパトラ」とかの狂いっぷりは今見るともう最高です。「火の鳥2772」のグダグダ感とかも堪りません。
ただ、やっぱり宮崎駿監督が「店子を集めてムリやり聴かせる長屋の大家の落語」と言ってますけど、これはちょっと違うと思いますね。
聴けるんですよ。落語にはなってないだけで。
本人は意地になって落語だと言いはってるけど、もはや誰も聴いたことのない奇怪な演目になってるんだけど、振り返ってみれば「落語みたいな凄い何か」としか言いようがないという。
例えるなら寄生獣の「田宮良子」みたいな存在、それが手塚アニメなんだと思います。
また、そんな手塚アニメのワンダーにこそ救われた少年少女も多くいたのではないでしょうか。
他ならぬ宮崎駿監督とか。